文章を書くということ
投稿日:2011年6月21日
村上龍氏の、
メルマガの中でのコメントです。
文章を書くということは、どういうことなのか、
が見事に表されていると思います。
「この5月から文藝春秋本誌で新連載の小説がはじまり、
締め切りと校正に追われています。昨年の2月に「群像」、3月に「文学界」と、
数年間続けていた連載が相次いで終わり、昨年はほとんど小説を書いていません。
新しく書く小説の、とくに最初の百枚は、大きなエネルギーを必要とします。
職業的に小説を書きはじめて35年が経ちますが、慣れるということはありませんし、
執筆が楽になることもありません。
本当に自分に書けるのだろうかと思いながら、書きはじめます。
モチーフはだいたい決めているのですが、
作品として成立させることができるという自信のようなものは皆無です。
小説を書くことそれ自体、今でも好きではありません。
嫌いというわけではないのですが、
こういったエッセイを書くときよりも複雑に脳を使うので面倒くさいのです。
1年ぶりに小説を書くと、こんなに面倒なものだったかなと、改めてそう感じます。
でも、仕事なので、書かなければいけないのだと、どこかで理解しているというか、
あきらめていて、確たる決意や意気込みとはまったく無縁に、書いていきます。
少しずつ文章が溜まっていくと、物語そのものの本質のようなものが見え隠れするようになります。
それがディテールを要求し、要求に応じられない場合は執筆は停滞しますし、
要求に応じることができると先に進むことができます。
何年経とうが、デビュー作を書いたときと同じやり方で書くしかないのだと思い知らされるわけですが、
その気分はそれほどいやではありません」