失ってはじめてわかるつらさ。
休日の雨は、憂鬱である。
今の私にとっては、ことさらこたえる五月雨だ。
自分の望むことができず、
行動が制限され、ただ待つしかない状態というのは、
耐え難い時間である。
しかし、自分がコントロールできない事に対して、
悩んでいてもしかたがない。
そこで、
晴耕雨読の原則にのっとり、
しっかり読書をすることにした。
私が今、かかえている最大の課題は、
は人間関係の構築である。
もともと私は、口頭のコミュニケーションが
苦手なオタクなので、
ともすると人間関係づくりをおろそかにしてしまいがちなのだ。
そして、思いもよらぬトラブルを招いてしまうことも。
今日読んでいるのは、これ↓
この本によると、
人間関係のトラブルのすべては、「自己欺瞞」から発生するそうだ。
「自己欺瞞」というのは、
手っ取り早くいうと「自分の気持ちを裏切ること」である。
たとえば、友人のために、
なにかをしてあげたい、と思う。
しかし、その自分の気持ちを裏切り、背くと、
自分の裏切りを正当化するために、
友人の欠点や悪い点を過大に見るようになる。
現実がゆがむ。
それだけでなく、
自分が正当化されるために、もっと友人が悪くならなければならなくなる。
驚くべき事に、
自己欺瞞からの正当化がはじまると、
なんと、もっとも自分が望んでいない「問題」が必要になってしまう。
つまり、
子供が万引きをしたり、
社員が問題を起こしたり、
配偶者とトラブルが起こったり、
するのは、
自分の自己欺瞞の産物である、という、
ある意味恐ろしい理論である。
例えば、こういうケースだ。
夫婦が夜寝ているとき、
赤ちゃんが泣き出した。
夫はその泣き声で起きたが、妻は昼間の家事や育児で
疲れていて、起きる気配がない。
夫は、
「妻は昼間の家事で疲れてるんだな。
おれが赤ちゃんをあやさなきゃ」と、一瞬思う。
しかし、自分も疲れを感じて、おっくうになり、
「相手をいたわる自分の気持ち」を裏切り、
自己欺瞞がはじまる。
自分の気持ちを裏切ると、
自己正当化のためには、相手が間違ってなければならない。
そして、相手の欠点を過大に見るようになる。
「おれだって仕事で疲れているのに、
赤ちゃんをあやさないなんて母親失格だ」
「もともと妻は子供に冷淡だった。
だから起きないんだ。おれがこんなに苦労してるのに!」
こんな具合に。
そして、
自分の裏切りが正しいためには、
現実に、「相手が間違っている」ことが必要になる。
そして、それが現実になっていく。
つまり、「問題のある状態」をつくっているのは、
ほかならぬ、自分であって、
相手の欠点を過大に見るようになったのは、
ただただ、
自分の気持ちへの裏切り行為によるもの、
ということだ。
「他者を助けてあげたい、という気持ちを裏切る」
↓
「そして自己正当化のために他者を過大に批判する」
というパターンは、
多くの人が思い当たるのではないだろうか。
他人がもたらした厄災も、
他人を変えようとしてもうまくはいかない。
なぜなら、それは自分が生み出したものだから。
他人を変える前に、
自分を変えなければならないわけだ。
そうなれば話ははやい。
いままで、相手にしてあげようと思い、
その思いを裏切ってきたことを、
裏切らずに、素直にやればいいだけだ。
失ってはじめてわかるつらさ、
というものを心引き裂かれるほどに感じるときが、
人生には何年かに一度、必ず訪れる。
「問題は神様がくれたプレゼント」。
この問題からしっかり学び、
「あのときの深刻な問題は、形を変えた”神様からの贈り物”だったんだね」
と笑いあえる日が来るように、
人生がつきつけるこの挑戦から逃げることなく、
責任をもって、生きていきたい。
そんな情熱の炎をゆらすには、
あまりにもブルーな、、
まるで天の女神が悲しみの涙を落としているかのような、
静かな休日の午後でした。